臓器移植法が施行され十年がたったそうです。
臓器移植のため、自分の臓器を脳死状態から提供した方は
この十年で六十二人。
現行法では脳死で臓器摘出が出来るのは
提供者本人が提供の意思を書面で示しており
家族がそれを拒否しないとき、または家族がないときに限られます。
ノンフィクション作家の中島みちさんいわく
基本理念は「本人意思の尊重」と「透明性の確保」で
これこそまさに、これからの世界医療が目指す二本の柱だと。
改正案として
「本人の臓器提供の意思が不明でも、本人の拒否の意思表示がなければ、家族承諾のみで臓器摘出を行いうる(年齢の制限なし)」
これは現行法の基本理念を根底から覆すもの。
つまりこの改正案は、法で一律に脳死を人間の死と決めつけたと
同じ効力を実質的に持つことになり
日本には脳死を死とする規定は存在しないのに
いかなる法的根拠をもって、家族の承諾だけで
法的に死んでいない人間からの臓器を摘出することが許されるのかどうか?
死生については国民一人一人の異なる価値観を尊重し
なおかつ移植を待つ人々を救おうという社会的合意のもとに
脳死を死とすることに賛成の人も慎重な人も双方ギリギリまで歩み寄って
「本人の提供意思が確実な場合のみ、特別の例外として限定的に脳死を死とみなし、臓器の摘出を殺人とはしない」
とする法理論構成のもとに、やっと現行法が生まれたのだと。
脳死という状態も、脳死が起きる現場も
医療関係者以外からは見えにくいものであり
医療不信のある現場は、命の線引きへと、歯止めなく荒廃していくと。
移植推進者は。。。
臓器提供は愛の贈り物と説くのだと。
愛の贈り物なればこそ、基本的に欠かせないのは提供者本人の意思表示のはずだと。
何よりも終末期医療の中で、医療者が出来る限りの手を尽くしてくれたという納得と感謝を患者や家族が実感できたときにこそ、臓器移植は着実に増えていくのではないかと。
このノンフィクション作家の中島みちさんの話。。。
ものすごく考えさせられました。
確かに医療の問題は簡単ではなく
実際に自分の家族の事に関わってきたりすると
とてつもなく難しい話になってくるのだと思います。
だけど、法だとか規定だとかそんなことよりも
患者本人と家族の納得と感謝って
本当に大切なことだと考えます。
大切な命が大きく左右される限り
医療不信など絶対にあってはならないし
医療関係者の人間としての在り方が問われるのではないでしょうか。
命は果てしなく尊いです。
だからこそ慎重にかつ愛をもって関わるべきことだと思いますね。
今朝っていうか。。。
まーえから気づいてたんだけど。。。
ナメクジくんってお花食べますのね。
きれ〜な菊の花びら食べちゃうのよ。
ちょっと〜〜〜〜やめて〜〜〜〜〜〜〜
きれいな菊ちゃんのお顔台無しじゃないのよ〜〜〜
髪のないハゲ状態?
美しいお顔が悲惨な状態?
しばらく観察。。。。。。
食べてる!食べてる!食べてます〜〜〜〜〜〜!!
良く見ると触角なるもの4本立ててますねぇ。。。
つっつくと引っ込みます。
その触覚の中心がお口ですかねぇ?
うーーーーん。。。。。。。どうなんだろ?
しかしですね。。。。
お花生けてもこの状態じゃあねぇ。。。。
あーかなし。
おなかすいてるのはわかるけどさ〜
花びらは勘弁してよ〜〜〜
ピンクの菊ちゃん泣いてますって。
お願いだから。ね。
わかんないやろうなぁ〜
話聴いてないやろうなぁ〜
食べるのに必死やったもんなぁ〜
ぼくらはみんな生きている。
生きているからうれしいんだ。
食べることってうれしいもんね。
ナメクジくんも必死だよね。
ナメクジ情報によると。。。
彼らビールが好きらしいのよ。。。。
あげてみようか?
酔っ払わないのかしら?
大好きなビール風呂の中で溺れ死ぬらしいんだけど。。。
ほんとぉ?