繋げる 

親には感謝。
だけどそれだけじゃない。

親は子供が傷つかないように傷つかないようにと
自分の経験とかからの教訓を胸に常に発信する。
だけど子供はわからない。気づかない。
そんなの当たり前なんだけどね。
それでも親は必死で守ろうとする。子供を。
それこそ全身全霊かけて守る。
それが親というものかもしれない。

だけどそこでまたもう一歩考えないといけない。
その必死に守ってもらっていることに甘えてはいけない。
それはそれは居心地がいい。
親の愛はあったかい。
見返りのない無償の愛なんだから。
何の温度だって親の愛の温度にはかなわない。
人間はぬくもりなしでは生きてはいけない。
愛あってこその人間。
でもその愛に頼りきり自分を埋もれさせてしまうのはどうだろう。
愛を感じ実感しそこで前を向かないとダメなんじゃないかな。
その場所にずっといてもダメなんじゃないかな。
愛は勇気に変えていかなかったら愛は死んじゃうんじゃないかな。
愛の意味がなくなってしまうんじゃないかな。

人間は快楽を求める。
そのためにお金を得て地位や名誉を求め
自分が心地よく楽できるように。

なんか違うような気がする。
求めているのは快楽なんかではない。
何が喜びで何が嬉しいかって

自分のそばにいる人が自分がいることで幸せかどうか。
喜んでくれてるかどうか。
嬉しい気持ちになってくれているかどうか。
あたしの存在を大きく想ってくれてるかどうか。


あたしは大人になるまで親に完全に甘えて過ごした。
自分の考えや想いを発信することなくいた。

高校のときつき合った人に言われた言葉が今でもずっと離れないでいる。

「親の言うことばかり聞いてたらだめだよ。」


あの頃はそんなに考えなかった。
でも今になってものすごく思う。
本当にその通りかもしれないと。

親はわが子がかわいくてかわいくて仕方なくて
その強い想いゆえに先手を打ち先回りして守ろうとする。
あたしも実際守られてきた。
だから今に至るまでわからないことばかりだった。
自分の考えというものを持たずに生きてきてしまった。
だけど2年前くらいから疑問を持ち始めた。
何かがおかしいんじゃないかって。

ただ上手く事が流れていけばいいんではない。
その都度起こることに自分だけの考えを持って
自分の感じることを自分自身が受け止めていくことが大事で
回りが人が言うことを聞くのも大事だけど
その上で自分の考えを大事にしていかないといけないのかなって。

誰が生きていくのかっていったら
人じゃなくて自分が生きていく道なんだからって思って。
道は自分で決めていけばいいよねって。
それこそ親がずっと連れ添ってく訳でもなく
子供がずっとそばにいる訳でもなく
自分は自分の心と寄り添って生きていくんだからって思って。

何かあればいつも自分の心に相談してる。
あんたはどうしたいの?って。
迷うときは人に相談することはあっても
それでも最後の決断は自分の心と折り合いつけて決める。

そう考えると人間はひとりの存在かなって思ったりもするなぁ。
だけどそれでも自分以外の人の存在は大事で大切で
大きな力となることがうーんとあって
生きてく上ではそういうことが1番の重要ポイントかなとも思う。
人の力を借りて自分が元気になって
ありがとうという気持ちになって
そして自分もまた力を貸してあげようという気持ちになる。
そういう心の気持ちが大事なのかなって。


親も。。。
自己満足のような無償の愛の押し付けをしないで
人生の良きアドバイザーのような存在になっていきたいなぁ。

それでもなんたってわが子は自分が生み出した人間。
なかなか無償の愛の迷路からの脱出は困難だと思う。

不可解で不条理な存在が人間だし。


それでも自分を高めてくれる自分以外の人のことは
これからも大切にしていきたいなって思ってるし
そんな人が増えていったらそんないいことないしね。
自分次第でどんどん増やせると思ってるし。



今そばにいる人が笑顔ですか?
今そばにがいる人が嬉しい顔してますか?


そばにいる人のそんな顔を見る自分が幸せ



親とも愛は分け合いたい。
親ばかり無償じゃどうも納得いかない。

あたしは子供でもあり親でもある。
両方体験して思ったのは
親の愛というものは厄介ということ。
人間である以上どうしようもない感情だし
そうせずにはいられない感情で止められない。

あたしの思いの中で考えるのは
親が思っている以上にまた子供は子供で考えて生きているということ。
与えられている場面場面で考えて生きているということ。

あたしは。。。
子供を持ったことであたしに対する親の愛を感じたけど
それをそこで終わらせたらだめだと思ってて
ならばあたしは自分の子供にどう気持ちを伝えていけばいいのかなと。

無償の愛は時にコトの判断の目を曇らせてしまう。
そういう怖さがある。

自分が生み出した愛しいわが子であっても
家族として共に時間を共有し過ごしているけれど
それでも無償の愛という厄介なものはそっと置いといて
あえて人間対人間として見つめたいかな。
そういう意味で考えると他人も同等だと思ってる。
家族は大切だけど特別じゃなくて
あたしの人生の中でタイミング良く出逢った人間。
あたしに必要な存在だから関わっていると考える。

そんなのってちょっと冷たい?
自分でも思った。

でもねぇ。。。。
あたしはあたしでしかないんだよねぇ。。。

大切なものや大切な人は
大切なものや人として大切にするし大切にしたい。

今朝もお婆ちゃんは血族の繋がり重視という考えを前に出してた。
でもそんな考えを出されても戦いの姿勢はしなくなったあたし。

ただ。。。自分の考えは言う。
あたしはそうじゃないと思うなぁ〜って。

他人でも家族以上に気持ちを傾けてくれる人はいるし
子供にしたって血の繋がりがなくても
気持ち次第で心の底から想ってくれることだってある。
それは血の繋がり以上のものになることだってある。
血の繋がりさえあれば気持ちがあるに違いないと考える方が間違いで
全ては気持ちの関わり方や交わり方の問題。
自然と心からそういう気持ちになるのが大切。
やらされてるんじゃ意味がない。
押し付けてやってもらうんじゃ意味がない。
嬉しくも何ともないし、そこには喜びがない。


全ては。。。
無償の愛によって自分の澄んだ心の目を曇らせているのかなぁ。。。

そんな気がしてならないんだよね。。。


あたし何が言いたいんだろう?



無償の愛はあったかくて大きい。
壮大なる心地よさがある。

それでも。。。
そこを超えていかなかったら。。。
永遠に「大人」=「大きな人」にはなれないんじゃないかって。



そんなことを思って


「親の言うことばかり聞いてたらだめだよ。」


あの言葉が今でも心から離れないのかもしれない。



居心地いいからといって完全に依存じゃいけなくて

親の愛を感じたあとが実は1番大事で

自分を自分の感じたことでさらに考えて

自分を創り上げていきたいって思う今なんだよね。



自分をこの世に生み出してくれた親を超えていかないと。


それが本当の意味で「繋げる」ってことになるのでは?



[2007/12/27 11:58] 日常 | TB(0) | CM(0)