偉人?から学ぶ。。。。
夏目漱石の妻の鏡子夫人は川に身投げした。
身投げの原因は流産からくるノイローゼ。
鏡子夫人は漱石と結婚するとき
「俺は学者で勉強しなければならないのだから、お前なんかにかまってはいられない」と宣告されていた。
東京の親元から離れての新婚生活で気がめいっていた。
鏡子は朝寝坊で、どうしても早起きができない。
夫は鏡子より早く起きて、朝ごはんも食べずに出かけてしまう。
新婚早々だから漱石はせっせと夜の行為にはげむため、ぐったりと疲れる。
そのうち鏡子は妊娠してひどいつわりにおそわれ、食べ物はおろか薬も飲めず、流産して精神不安定になった。
漱石は癇癪持ちで、しかも並の学者ではないから、勉強を始めると熱中して妻をかえりみない。
そういった性分に耐え切れず、鏡子夫人は追い詰められていく。
漱石は結婚早々に、妻との修復を迫られ、それは、妻の帯と自分の帯を繋いで寝るという行為になった。
しかし、これは、どう見ても異常で、いくら鏡子夫人がノイローゼ気味とはいえ、帯を繋ぐことはない。
漱石は、無鉄砲な坊ちゃんだから、お嬢さん育ちの鏡子夫人のノイローゼの原因が自分にあることがわからない。
本来なら、、紐で繋がずに心で繋ぐのが夫の務めである。
朝寝坊で漱石の朝食も作れない鏡子夫人はどう見ても悪妻である。
明治の娘には、鏡子夫人のような人も結構いた。
こういった夜が繰り返された末、鏡子夫人は紐をふりほどいて寝床を抜け出し、梅雨で増水した白川に飛び込んだ。
濁流の中で浮きつ沈みつしていた身を助けられ、九死に一生を得た。
鏡子が長女筆子を産むのは二十三歳の五月末である。
入水自殺しようとしたのは二十二歳の六月末である。
してみると、自殺未遂して助かった鏡子は、入水事件後、一ヶ月ほどで妊娠したことになる。
十分に体調が戻らない鏡子夫人を抱いて漱石は強引な修復をしたのである。
その後も漱石と鏡子夫婦にはいろんなことが起こる。
なんていうか。。。。
結婚するということは、夫婦にはいろんなことがあるということ。
それぞれの多くの事情があって薄皮一枚で繋がっているようなもの。
坪内逍遥なんかはもっとすごい。
逍遥は「小説神髄」を書いた文豪であり翻訳家、劇作家、教育家でもあった。
逍遥は、学生時代に大学の近くにある根津遊郭で娼妓をしていた花紫(セン)と恋仲になり、三年間の交情の末結婚した。
学生が花街の遊女と恋仲になることはよくあったが、身請けして妻にするなんてのは、美談である。
『当世書生気質』は、明治十七年頃、遊郭で遊ぶ不良学生の恋愛風俗を書いた先駆的な作品だ。
逍遥は恋の悩みを正直に書いて、不良としての責任をとった。
坪内家から見れば、東京帝国大学を卒業して、文名を得て「さあ、これから」という大事な息子が、遊郭の女と結婚する、というのだから、最悪の事態であった。
逍遥はセンが遊女あがりであることを隠すため、一度、旧西条藩士、鵜飼常親の養女として、それから籍を入れるという念の入れようだ。
逍遥の確固たる信念はたいしたもんだが、遊女生活六年のセンは、教養がなさすぎた。
逍遥はセンに少しでも学問を教えようとしたが手ごたえなく、我儘を言って手こずらせた。
センの無学無教養はいたしかたないにしても、女としての欠点は、嫉妬心が強く、疑い深く、見栄っ張りであるところだ。
逍遥はセンと結婚することがどういう結末を迎えるかを予知していたにもかかわらず結婚したのである。
逍遥は、人間愛を大切にしようとした。
たとえ遊女であろうと同等の人間であるという強い信念である。
逍遥の極端な儒教的教養がそれを支えた。
しかし、人間はテーマを優先させてそこへ自分を押し込もうとすると無理が生じる。
三十八歳のとき、新設した早稲田中学の教頭になった。
その後校長にもなるが、セン夫人が娼妓出身ということを批難された。
信念にもとづいた結婚がスキャンダルなのだ。
小説家ならば、妻が娼妓出身だろうとかまわないが、校長だとそうはいかない。
四十一歳の逍遥は神経衰弱が甚だしく、四十四歳で早稲田中学校に赴任したときは胃潰瘍が悪化し、翌年、尾崎紅葉の葬儀中に脳貧血で倒れた。
センの出自は、逍遥の生涯にわたる重荷であって、身請けして、結婚した日から、逍遥は妻との修復を迫られることになる。
最初から修復不可能な関係である。
松本清張は「文豪」という小説で、逍遥は妻センとの修復がうまくいかず「自殺した」とした。
他者にはわからないように、ヤケになって死んでいく消極的自殺である。
逍遥は没する二年前(七十五歳)に、原稿を書いた。
センとの修復の日々と出自を明かしたものである。
その原稿は没する十二日前に包装して糊付けした。
包装紙の上には毛筆で「私が死ぬまで開けてはいけない」と書いてあった。
松本清張が、逍遥を消極的自殺と推定するのは、逍遥が最後に書いたこの遺書による。
センはこの原稿を焼き捨ててしまった。
ガマンにガマンを続けた夫は、誰にも言えなかった妻との格闘劇を書き残す。
妻への呪いといってよい。
センが焼却してしまったため、そこにいかなることが書いてあったのかは謎のままである。
なんともすごいな〜〜呪いですか〜〜
あとね。。。
伊藤博文編や岡倉天心編や武者小路実篤編とかあります。
いやぁ〜興味深いですわ〜〜〜〜
あのね。。。
これ読み込むとですね。。。
タイプはいろいろ様々なのですが。。。
男ってみんなこうなの?なの?なの?って思ってしまうのですが。。。
そしてですね。。。
男も女もなんかそれって単に感情だけで動いてないですか?って思ってしまうのですが。。。
真剣に考えてます?想ってます?ねえ?ねえ?ねえ?って。
死のうとしたりノイローゼになったり。。。
真剣に人を想うことってそういうことになるのでしょうか?
おかしくなってしまうのでしょうか?
あたしは、なにかが違うような気がする。。。。。
まぁ小説家の方って変な方多いみたいですものね。
ひとくくりにはしたくないですけど
変わった方が多いようですね。
ある意味芸術家は変態じゃないと成功しないっていいますけどね!
うーん。。。。ほんとのところどうなんだろうねぇー
でもね。。。
あたしも女として妻として女性として
考え直さないとなって部分も出てきますね。
あまりにもこう。。。同じような流れで強くなってるような気がして
え?普通なん?それじゃあ嫌だなぁおもしろくないなぁって。
年齢相応の流れってあると思うんですよ。
そんな流れのまま同じ流れなんてあたしは嫌ですよぉ〜〜〜
あたしだけでありたいですよ。
独自キャラでありたいですよ。
しかも!人からも自分からも愛される人間でいたいですよ。
まだまだ修行が足りないようです。。。はい。
頑張らずに頑張りたいです。
相手にしがみついて生きると愛は腐りますのでね。
家族の成員すべてが生き生きと独立して生きることが
そしてある種の緊張感を切実に感じながら生きることが
何よりも大事なのでございますな。
個人的な感想で恐縮でございますが、夫婦円満とか家族安泰というのは
独占欲や嫉妬や自己愛を脱ぎ捨てた先にこそあるものでございます。
大事なのは「無償の愛」でしょうか。
う〜〜ん。。。辻 仁成様!!あなたはやはり素敵です!!
あたしの大好きなる考え方の人です!!
「サヨナライツカ」
奥様である中山美穂さんが主演する映画。
ご主人である辻さんの作品です。
サヨナライツカ
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思う方がよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ
サヨナライツカ
永遠の幸福なんかないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す