病院で、辻 仁成に出会う 

「はじめての喪主」        辻 仁成


先日父が他界し、私メは生まれてはじめて喪主なるものをやることになりました。
弟に「兄貴、喪主お願いしますね。」と言われたときは一瞬強張りました。
私どもはパリ在住なので、実質的な葬儀の取り仕切りは、弟がやりました。
実家の福岡にかけつけたときはすでに通夜の準備も整っており、全国津々浦々から親族や父のご友人の方々らがかけつけて下さっておりました。
私の横には妻がいて、初めて会う親族などに挨拶をしておりました。
息子が「おじいちゃんは死んだの?」と何度も聞いてきます。
「生まれたものはね、いつかは死ぬんだよ。」と教えます。
これは喪主の仕事ではなく父親の仕事ですね。
息子はバイバイだねと言います。
「ああ永遠のバイバイだよ。」と教えました。

実は、私はあまり父親が好きではなかったのです。
私メが子供の頃、父は戦後を代表する猛烈サラリーマンでした。
その頃の父は躾に厳しくまるで閻魔のように怖い人でした。
ところがある時を境に急に丸くなってしまったのです。
それが息子の私メには、堕落したように映って仕方なかった。
男は生涯戦わなければならないと私は信じておりました。
帰省すると、茶の間で酒を飲んでにこにこしている父がいます。
その父はもう怖くありません。
息子というものは父親の中に威厳を追い求めるものなんですな。
だから、たそがれた父親を私はどうも好きになることが出来なかった。

ある時、母によってその理由を聞かされます。
「父さんは社内の競争に負けて窓際族になったのよ。」
まさか自分の父親が窓際族だったとは。
エリートだった父が人生に負けて居間で日々猫のように丸くなっている姿がどうしても私にはショックだったのです。
葬儀場にかけつけた時、棺桶の中の父は驚くほどにきれいな顔をしておりました。
死という恐ろしいものから遠くなんというのでしょうねぇまるで仏様のような顔とでも言うのでしょうか。
悲しみよりもそのことでまず私は驚きます。
妻が棺桶を覗き込み、まあお父さんまるで生まれたてのようと言いました。
そうそう妻は私の父のことが大好きでした。
「あなたはお父さんのことをあまりよく言わないけど、私はお父さんのことが大好きよ。」と妻はたびたび父を擁護しておりました。

家族で話し合い父の葬儀は静かに執り行おうということになりました。
ですから、公には知らさず身内と父の仕事関係の方やご友人だけに連絡を入れたのです。
なのに、大きな葬儀会場でしたがたくさんの方々が全国から訪れて下さいました。
そして、その方々が本当に素晴らしい方々ばかりだった。
喪主である私のところにきて、生前の父について誰もが語りはじめました。
驚くことに話の中に出てくる父は、私のよく知るあの不甲斐ない父ではありません。
知人友人のために奔走した九州男児。
自分のことはさておき喧嘩の仲裁、困った人を助けに行き、人と人をつなぎ、弱いものを助け、仲間達との友情を温め、こつこつと真面目に生きる1人の男でした。
とりわけ親友の方々が読んだ弔辞は人間臭い一人の戦後の男をそこにすっくと立たせたのです。
父は人生に負けたのではなかった。
それが証拠に父の死を心から悲しむ友人たちが大勢そこにはおりました。
果たして私が死んだとき、こんなに人が集まるだろうか。
父が思いも寄らず豊かな一生を送っていたことを、なんとこの馬鹿息子は彼の葬儀の日に知ることになるのです。
その父との隔たり、あるいは確執というものを私は何度もエッセイでは書いてまいりました。
父はそれを読んでいたはずです。
が、何も言いませんでした。
私はもっと父に頑張ってもらいたかったのです。
昔のように戦う怖い人でいてほしかった。
でも私はちゃんと父親の姿を見ておりませんでした。
私の妻の方がよっぽど私の父のことを見ておりました。
私自身の仕事関係の方々には、父の死を一切知らせておりませんでしたが、過去に父と酌みを飲み交わした数名が葬儀場に紛れておりました。
彼らは私との関係ではなく、父のことを想ってそこにいた訳です。
誰が彼らに連絡をしたのか私にはわかりません。
私はそれほど父との間に溝があったということになります。
ようやく父親の本当の姿を知った私は遅すぎた父との和解を持ちます。
しかしその時父は天へと旅立っておりました。
いかなる成功よりも大事なものが人間にはあることを私は喪主を務めて初めて知ることになるのです。
つまり、金持ちになることや栄誉だけが人を豊かにさせるものではない。
友人こそが一番の財産であるということを、父の死によって教えられたのでした。
考えてみると世界でただ一人の父親でした。
電話をすると「よ、ひとなり、元気か?」と父は陽気な声を投げかけてきます。
「母さんいる?」私は元気だよと言う代わりにいつもそう返しておりました。
それが私たち父子のこの1年ほどの会話の全てであります。
母は九州の女ですからね。
つらくともまるで家長のように気丈に立ち居振舞っておりました。
私の妻は親族、友人ら一人一人に深々と頭を下げておりました。
九州の通夜は朝まで続きます。遅くまで妻と母は棺桶の傍らにおりました。
その光景が目に焼きついて離れません。
走り回る息子を遠縁の誰かが追いかけて怪我をしないように見張っております。
一族のありがたみや家族の大切さが身にしみました。
しかしなんですな。
親は想う時にはいないものです。



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これを読んで。。。
何だか心に染み込んできました。。。
じわじわ〜っと浸透してきました。。。

人ってね。。。
やっぱり深いんですよね。
大切なことってなかなかわかんないんですよね。
順番に順番に起こってくるんですよね。
ちゃんとわかるようにね。。。
納得するようにね。。。

昨日も友達と話してて思いましたよ。
今起こってることも。。。
全部生まれたときから決まってることなんだろうって。
いろんなこと自分で決めたり考えたりしてるつもりだけど
実は最初っからセッティングされてることだって。
だから。。。
どうもがいてもあがいても
つらかったり悲しかったりすることは
与えられたことなんだって。
通らなきゃいけないことなんだって。

あああああ。。。。。。

まだまだこれから。

これからが始まりなんだね。。。



[2007/05/21 20:43] 日常 | TB(1) | CM(0)

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辻仁成辻 仁成(歌手・映画監督の場合つじ じんせい、作家の場合及び本名つじ ひとなり、1959年10月4日-)は日本のミュージシャン、映画監督、小説家。血液型はO型。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article
[2007/09/30 15:01] URL お待たせ!映画ファン「映画監督・評論家編」